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過去を振り返る 宇宙事業

朝日新聞(20031129)より

先代国産ロケット「H2」の連続失敗から4年、どん底からようやくはい上がったかに見えた日本の宇宙開発が再び窮地に立たされた。29日の「H2A」6号機による情報収集衛星の打ち上げ失敗。宇宙航空研究開発機構・種子島宇宙センターで記者会見に臨んだ宇宙機構の山之内秀一郎理事長と文部科学相の諮問機関、宇宙開発委員会の井口雅一委員長は、これまでH2Aを成功軌道に乗せてきた立役者だった。その2人がこの日、「衝撃」「責任を痛感」という言葉を漏らした。

 発射直後、ロケットが轟音(ごうおん)とともに、雲を突き抜けていくまでは、種子島宇宙センターは成功ムードに包まれていた。暗転は、すぐ後に訪れた。

 「ミッション(任務)を達成する見込みがないとの判断から指令破壊信号を送信しました」

 会見の冒頭に発言した山之内理事長は動揺を隠せない様子だった。「おわび申し上げたい」と言うべきところを「お礼申し上げたい」と言い間違えた。

 旧国鉄の技術者で、宇宙開発とは無縁だった。JR東日本会長を退いた直後の00年、H2の連続失敗で瀬戸際に立った旧宇宙開発事業団の理事長への就任を要請された。

 「驚いたが、逃げるわけにはいかない」。持ち前の向こう気の強さで事業団を引っ張り、01年8月のH2A1号機から、打ち上げを5回連続して成功させた。その業績を買われ、10月に発足した宇宙機構の初代理事長に就任したばかりだった。

 会見で今後の衛星打ち上げの見通しについて聞かれ、「まずは徹底的に原因を究明する。その後のことを考える精神状態にない」と語った。「今後の日本の宇宙開発はどうなるのか」との質問には「今、私はコメントする立場にない」と答えを避けた。

 その山之内氏を「あの人は自分が納得しない限りゴーサインを出さない。あの慎重さが、打ち上げの連続成功につながっている」と評価し、全幅の信頼を寄せていたのが井口委員長だった。中国が有人宇宙飛行に成功した今年10月、井口氏は「日本が後れをとったとは思わない。H2Aは(中国の)長征ロケットよりも優秀だ」と自信満々に語っていた。

 機械工学が専門の元東大教授。98、99年のH2ロケットの連続失敗の際、宇宙開発委員会の技術評価部会長として原因調査にあたった。01年1月、同委員会委員長に就任。今月27日に再任が決まったばかりだ。

 「この間、地に落ちた(日本のロケット技術への)信頼を回復するべく懸命にはい上がってきた。この失敗からまた、死にもの狂いではい上がりたい」

 井口氏はこの日の会見で、そう語った。

H2Aロケットの失敗の記事です。一昔前ですが、ネットから探してきました。このころ日本の宇宙事業は隘路に陥り、産業としての未来もないという主張が出始めました。今は再び宇宙事業に注目が集まっています。いくつかの成功が国民の関心を引き付けたからでしょうが、技術が向上したのでしょうか?それとも、メディア戦略が成功したのでしょうか?最初は素晴らしい技術、産業と言って手放しで迎えられ、その後の失敗でもう古いといわれ、再び注目を集めていますね。本質が変わったのか要注意です。


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